無泊三日東京旅行 2

23日朝7時前、東京駅着。
駅地下街のカフェーで朝飯を取り、通勤ラッシュが終わるまでそのまま粘る。
講義は昼からなので、午前中は少し観光。JRで柴又に向かう。日暮里駅で京成電鉄に乗り換えるので、ついでに日暮里も歩いてみる。坂、階段、墓場が多い。「夕焼けだんだん」と呼ばれる有名な夕焼けの名所があるらしいので、そこまで歩いたが、朝の白んだ空があるだけだった。
京成電車で日暮里から柴又へ。
少し前から「男はつらいよ」シリーズをDVDで借りて1作目から見ていた所、偶然テレビでも、毎週土曜にシリーズの連続放送が始まり、今はテレビで少しずつ見ている。
駅、「とらや」のある参道、帝釈天、現在も映画とほぼ同じ町並み。「とらや」で一本、草団子を買って食べ歩く。盛り盛りの小豆餡を地面に落とさないよう、嬉しげに。

昼過ぎ、会場である有楽町よみうりホールに着く。この講義は1日3時限で構成されており、各コマを作家の方が1人ずつ講師となってお話をする、と云うもの。この日は、1時限目、黒川創さん、2時限目、堀江敏幸さん、3時限目が町田康さんである。
正直、黒川創さんと堀江敏幸さんについては、この日行く事を決めてから初めて一冊ずつ読んだぐらいなので省略します。
それにしても客層には驚く。日程が夏休みに入ってからだったので、学生向けの講義かと思っていたのだが、席を埋めているのは殆どが、退職をし、時間とお金が有り余ったような品の良い年配の方ばかり。辛うじて、町田さんファンであろうと思われる、私と同年齢くらい人が少し見える程度。
その中を町田さんの登場。当然ながらおっさんである。「メシ食うな!」が発表されたのは私の生まれた34年前なのだ。そう考えると年齢の割にはお若くも見える。逆に、もっと生きてきたようにも見える。
講義は本当に面白かった。テーマとして取り上げた井伏鱒二「多甚古村」と云う小説の最大の魅力は、全編を主人公、甲田巡査の日記として書かれた文章に、妙な具合に引っかかりを感じる箇所が多数あり、その「引っかかり」が自分をくすぐる事にある、と思っていたのだが、では何故、それらの文章に「引っかかり」を感じるのか、説明がつかなかった。それを今回、町田氏の解説によって全てが理解できた。全て井伏鱒二による計算なのだ。
多甚古村の舞台が徳島県である事は勿論町田さんもご承知で、この小説の会話に出てくる「阿波弁」についても話はあり、その際「僕の知り合いに徳島出身の人間は一人しかいませんが、そいつは『徳島の阿波踊りシーズンは街全体がフリーセックスじゃあ!』なんて言うてましたよ、はっはー!」などと急にテンションを上げられ、ほぼ年配で上品な方ばかりの聴衆は静まり返ったが、これは町田さんの計算だろう、私は大喜びした。
最後の講義だった町田さんが話終わると、会場は直ぐに解散となったが、私は町田さんが話の中でちらっと「今日、ここへ来るまでの◯◯線の電車内で・・・」とおっしゃっていた事をはっきり脳に記録しており、そこから町田さんが移動するルートを予測、iPhoneの地図機能を見て、「この駅を利用する場合、この交差点をここから渡る可能性が高い」と判断、その地点に先に行き、5分程の待機したのである。した所、ヤマが的中。有楽町のサラリーマンの群衆に混じり切らない、異様なオーラを放ちながら、町田さんがこちらに向かって来るのである。
ストーキング、では無く、探偵の資質があるか知らん。大東京のスクランブル交差点で、しかもわざわざ徳島から出てきた男が待ち伏せしていた事には、流石に町田さんもやや面食らっている様子だったが、サインと握手をお願いすると、こんな人通りの多い場所で呼び止めて、失礼、迷惑だったろうにも関わらず、快く応じて下さった。おまけに緊張のあまり唾液を飲み込んでばかりして口をきけなくなっている自分に、氏の方から「この後はどこか観光するの?」などとお言葉までかけて頂いたのである。
自分のような者にとって町田康さんは闇の救世主のような存在である。町田作品から私が感じるのは、「駄目じゃない人間なんていない」と云う事で、それは逆説として、人間肯定であると、自分勝手に解釈をしている。

気分はほくほくで、後は帰りの夜行バスまで用事は何も無い。銀座の狭い銭湯に浸かり、チェーン店で天丼を食べて帰る。

24日6時半。徳島着。
工場で仕事。よく眠れなかった割に元気だ。