メダカの学校

 

一月くらい前、子が近所からメダカを数匹もらって来た。
私はこれまでメダカなど飼ったことが無いので飼育方法はわからないが、妻の実家では常に飼っているので、教えてもらうことはできる。とりあえず余ってる睡蓮鉢をくれたので、あとはホームセンターで餌と水草を買い、玄関先にある柱の影になる所で飼い始めた。
いつも仕事から帰ると、なんとなく様子が気になり鉢を覗くが、警戒心が強いようで、すぐ水草の下に隠れてしまう。休日はだいたい私が餌をやるのだが、水面に撒いてもすぐには食べに来ず、じっと音も立てずに待っていると、しばらくしてようやく水草の影から姿を現し、恐々と食べている。
ペット屋の、人に慣れきった金魚や鯉みたいに、餌も無いのに指を水に近づけただけで口をぱくぱくさせながら群がってくる浅ましさに比べると、ずっと慎ましく、自分には好ましく思える。

その日、まだ陽のある時間帯に仕事から帰ってきて、やはり鉢のメダカを覗いてみると、いつも一目散に潜るか水草に隠れるはずが、一匹だけ水面を姿を見せたまま動かないものがおり、指でつついてもやはり動かず、どうやら死んでいるようだった。
とても小さいのでそのまま庭に捨ててしまおうとも思ったが、子の情操教育を考え、一緒にこのメダカのお墓を作ってやる事にした。
妻と子を玄関に呼び、メダカが死んでいる事を確認させると、この時、妻が水草に卵が産み付けてある事に気づいた。もしかすると、この死んだメダカは、この新しい命と引き換えに力尽きてしまったのだろうか。だとすれば美しい命の連続である。
ただ現実は残酷な所もあり、生まれた卵はこのまま同じ水中に入れておくと、大人のメダカに食べられてしまうおそれがあるらしいので、妻は卵を別容器に移して、そのついでに鉢の水も新しく替える事にした。すると、鉢の底からさらにメダカの死骸が四匹も見つかり、さらに小さなタニシみたいな巻貝も数匹出てきた。
グーグルで調べてみると、この巻貝は生物飼育の分野では「スネイル」と呼ばれていて、少しなら餌の食べ残しや糞を食べてくれたりして水中の掃除をしてくれるのだが、やはり大量発生するとその糞やら死骸で余計に水中を汚染する原因になるようだ。
私はとりあえず子と共に、庭のまだ背の低いシマトネリコの樹の下に、お墓のための穴を掘っていると、睡蓮鉢を掃除していた妻が「うわ、気持ち悪い」と声をあげた。どうやら一旦地面に置いていたスネイルを誤って踏んづけてしまったようである。私は「このぐらいならスネイルも居て良いんじゃないか。少しなら水をキレイにしてくれる、とも書いてある」と意見したのだが、妻は、一瞬だけ思案をするように、今自分が踏んだ跡の黒いかすれ線に目をやると「いえ、全部殺しましょう」と、決断を下した。
掘った穴に、死んだメダカ五匹と、生きてるか死んでるかわからないスネイル数匹を埋め、適当な黒い小石を墓標代わりに立てた。私は、こんなので情操教育になるのだろうか、と考えながら、形だけぱんぱんと手を叩いて拝むと、子も真似て、ぱんぱんと手を叩いた。

その夜のお膳は、昨日、友人宅から手土産に持たせてくれた釜揚げシラスである。それを炊きたての白い米の上に大量にかけて食べた。
そのおいしかったこと!