YUKIGUNI 15' 下の下

朝、松本城をいつものように料金を取られない所まで見に行き、松本を発つ。
この日はバスで岐阜、飛騨高山方面に行くか、鉄道で木曽方面を下るか悩んでいたが、テレビやインターネットの情報により最近の飛騨高山は観光人気がもの凄いと聞いていたので、人が多い事を警戒し木曽方面に進路をとる。すると今度は中山道のどこの宿場町を見るか、奈良井か馬籠〜妻籠で悩んだが、一番規模が大きかったと云う奈良井宿に決め、列車を降りる。
かつての旅籠が並んだ通りが1kmほど続いており、風情がある。人混みを避け、奈良井宿を選んだ予想は当たった。観光客と思われるのは自分達以外には、母娘らしき二人連れと、中学の教師のその生徒らしき10人ほどのグループくらいで、それら以外路上に殆ど人はいない。旅籠屋の造りを利用した土産屋や飲食店もあるのだが、殆ど閉まっている。冬場の平日には人は来ないから休業しているのだろうか。
だがこれぐらい静かで、本当は丁度良いのだ。観光客でごった返していては、旅情もあったものではない。
この山に囲まれた宿場町の通りには、まだ雪が残り、軒下にはつららが下がっている。太陽の熱で踏ん張りを失った屋根の雪が、時々滑り落ち、路上にズシャと音をたてるので、出来るだけ真ん中を歩く。車の往来は、掻いた雪を捨てに行く軽トラックと、県外ナンバーの乗用車がたまに通るくらいである。
それにしても度々通る県外ナンバーは何故、平行して通っている新しい道を使わず、わざわざ狭い旧街道に入って来るのかと思っていると、それらが宿場内にある大きな一軒に集まっている事がわかった。
葬式であった。それを見て、何だか町の静けさが更に増した様な気がした。本当の事を言えば、信州蕎麦を啜るとか、団子の食べ歩きとか、したく無かった訳でも無かった。
唯一やっていた土産屋で、今日ホテルでの晩酌用に、酒と、100円で安売りしていた「信州わさび揚げせんべい」を買うと、店のお婆さんが蕎麦饅頭を妻の分と二つオマケしてくれ、次の移動の電車内で食べた。昼食を食わずだった為、とても美味かった。
長野を出て、今晩は名古屋に宿をとり、晩酌、信州わさび揚げせんべいを食べた。100円と思えない程、わさびの本格的な香りと辛味が再現されていたが、消費期限が4日ばかり過ぎている事に気付いた。納得した。

最終日は帰宅するのみである。
名古屋から高速バスで大阪梅田、なんばへ行き、南海近鉄和歌山港、フェリーで徳島に帰る。
大阪に着くと、時間に少し時間に余裕があるので、なんばで早めの電車に乗り、今まで一度も見た事の無い和歌山市街を1時間程見てみようとしたのだが、なんばに着くと、南海電鉄の和歌山方面が人身事故より、暫く運転見合わせとの事。新潟に続き、この旅で二度も人身事故に鉢合わせた。
郷土出身のロックバンド、チャットモンチーの、曲名は忘れたが、ある歌詞についてのインタビューを思い出した。ある日電車を待っていると「人身事故により電車が遅れております」と言うアナウンスがホームに流れ、それを聞いた人達は人身事故による不幸を悲しまず、ただ電車の遅れに対して苛立っている様子だった、というものである。
田舎町に住んでいると、自家用車での移動が殆どで、生活に、鉄道を全く利用した事が無い人も普通に多い。そんな町から、大都会東京に出てミュージシャンとして身を立てる事になった、彼女達ならではの視点を、素晴らしいと思った。
それに比べ私は未だ、彼女達が飛び立ったその地元を這うゴキブリようなバンド活動を続け、まして電車も走らぬ町で暮らしている癖に、その事故のアナウンスを聞いた際、「わちゃあ、二回もかんべん」と思った。身体の腐りは、温泉の効能で多少治癒されたが、心は腐ったままのようである。

家に帰り着くと、旅行前に面接を受けた印刷機販売会社から、不採用通知が届いていた。