父の日以降

72歳になる父親がレベル4の肺ガンである事がわかった。
人間はいつか死ぬものであって、親が子より先に死ぬ事は、順番通りであると言える。たまにこの順番が守られない場合があって、残された側は、より深い悲しみに暮れる。
なのでまあ、順番通りである。

父本人からガンである事を伝える電話があった当日は、こんな風に考えて、随分自分でもあっけらかんとしたもんだ、と思っていたのだが、翌日になると、時間差で深刻な気持ちが芽生え、インターネットで「肺ガン」についてあれこれ検索し、レベル4というのが最高値、という事をその時知った。普通5までじゃないのか、と憤った。
仕事中も、心の中に水が溜まっていくような息苦しさを感じた。

先月の父の日に、贈り物に地ビールと缶詰なんかをセットにして持って行ったのだが、その際ずっと咳をしており、私は「大丈夫か?コロナちゃうんか?」と、心配というよりも厄介な感じで言い放った。今思えば、コロナウィルスの感染くらいですんでいればどれほど良かったか、と思う。
電話があった三日後、仕事帰りに実家に立ち寄った。父の日に会った時より、元々細身の顔が更に痩せ、そのせいで目がギョロっとしたように見える。顔色は灰がかったような茶色で「ああ、これは長くないぞ」と覚悟できた。
病院によれば、もう手術はできる状態ではなく、抗がん剤か緩和ケアによる治療の2択になるとの事。父は、抗がん剤は使いたく無いので緩和ケアを受けるようになると思う、と言う。母も、抗がん剤はガン以外の細胞も攻撃してしまう、毒よ、と言う。私の両親は先入観を強く持つタチなので、ちゃんと調べてるのだろうか?と思う。
どうせもう治る事は厳しいので、辛い抗がん剤治療はせず、少しでも心体ともに楽に残りを生きられるようにという事である。あと西洋医学だけでなく、漢方や鍼灸などの東洋医学もどんものなのか興味があるので、その分野で県内では大きな病院にも、明日明後日ぐらいに行ってみるつもりらしい。

ところがその週末に再び様子を見に実家へ行くと、以前在った場所から移転していたらしく、新しい場所がわからなかったから諦めた、と言う。何で?と思った。実家には私の兄弟も一緒に住んでいるのがいるし、私の家も車で数分のところである。ネットで調べてもらうなり、連れて行ってもらったりすれば良いものを何故頼らないのか。老いた両親が末期ガンのために病院を探して見つからず帰ってくる姿を想像すると、実家とはどちらかというと希薄な関係をとっていた自分でも、胸が痛む。
とりあえずその日の午後の診察に間に合うように両親を自分の車に乗せて、その病院に連れて行った。特に漢方の相談がしたかったらしく、気休めぐらいにしかならないかもしれないが、大きな袋に入った煎じ薬を貰って帰った。帰りの車内で父から「行ってよかった。すっきりしたわ。ありがとう」と、とても感謝された。本当に何でもない事なのに。
家に帰ると6つ下の弟がいたので「お前も手伝える事あったらやれよ。頼むぞ」と普段なら言わないような事を言うと、それを聞いていた父が「その通り、総力戦やぞ」などと、横からまるで他人事みたいに言うので呆れてしまった。
別れ際に、私が父の日に贈った地ビール類を「せっかくやけど、もう飲めそうにないからそっちで飲んでくれ」と返された。それらはすぐに全部飲んでしまった。