激!!竹松一家

CROWBARにてライブ。
先輩ジャパコアバンド殺戮大明神の企画。
唯一のオリジナルメンバーである竹松氏は、私が10年程前に活動していたバンドで面倒を見てくれたり、しばしばライブの共演もさせて頂いたりしていた。

当時、竹松氏はステージで演奏するだけでなく、度の強い酒を使って火を吹く、といったパフォーマンスを行っており、それを見た私は、パンクやなあ、勉強なるなあ、と感心したものである。

また、氏の自宅に招かれ、これは俺が19くらいの時のライブぞ、と見せてくれたその映像は、場所は何処かの海岸の風景で、一切の演奏は映っておらず、若き日の竹松氏が半裸で、その上半身に乗せた爆竹を爆発させ悶えている、といった内容のもので、これもまた勉強になった。

そしてまた、共演をしたある時。
出番をすでに終えている私は、ステージの袖から殺戮大明神のライブを鑑賞していたのだが、その日は最後まで火を吹かず楽屋に戻って来たので、寂しく思い「今日は火、吹かんかったんですね」と竹松氏に話かけた所、「あっ、忘れとった!」と、氏は再び、火を吹く為に早足でステージへ戻った。
いつものように天を仰ぎ、龍が如く炎を吐く竹松氏。いつもと違うのは、その手にも酒がかかっていたのだろう、その手にも炎は燃えていたのである。

自力で火を消して楽屋に戻って来たこの漢に、私はすっかり感動し駆け寄り、「お熱いの、勉強させてもらいました!これぞ滅びの美学...!ありがとがんした!!」と涙ながら伝えると、氏はヤケドを負った片腕を小刻みに震わせながら「阿呆、ホンマに熱いわ!お前が余計な事言うからこんな目に合ったんだろが!!」と私は叱られてしまった。

結局この件が原因で私は竹松一家を破門になるのだが、幾多の年月を経てまたお誘いを頂き、一緒にライブができる事を嬉しく思う。
実際、竹松氏から10年以上借りたままになっている初期USパンク・ハードコアのレビュー書「PUNK天国3」が私に与えた影響は計り知れ無いものがあり、このライブの日についに、返却をするつもりであったのだが、つい自宅に忘れてしまい、とりあえず近々の返却の意思を伝えると、氏は述べた。
「それはもう返さんでええ。その本はお前みたいな奴が持っとくのが一番なんや。そして今度はお前が、いつか若いもんにその本を託したらええんや。」
お熱いの、ありがとがんした!!