第262夜

 午前に予定していた娘のカテーテルを抜く手術は、担当医に緊急の予定が入った為、夕方にずれた。

 妻からカテーテルが無事外れたというメールがあったので電話をすると、向こう側で娘の泣いてる声が聞こえた。

 仕事を終え、スーパーでビールの500缶を買い、夕食はツマミのようなもので済ませた。夕食後にまた電話をかけると、早くも聞こえてくる娘の声は、元気そうな調子に変わっていた。入院中に行う全ての予定は、これで終り。明日、娘は退院する。

 退院後も、通院での治療は1年間続くし、完全な寛解と宣言できるようになるまでは、まだこれから5年ほど経過観察がいる。いろいろと不安はある。あるけども、もうとっくに絶望は遠ざかっている。明日娘が帰って来る。1人酒を飲んで過ごす夜は、多分今日が最後だろう。明日には、僕の娘が帰って来る。

 

 娘の闘病に関する日記は、とりあえこれで終わりにします。ごくたまに、読んで状況を知ったと言う友人から電話やメールで連絡をくれる事があり、そんな時は、淀んだ部屋に新鮮な風が吹き込むような感じがして、凄く爽やかな気分になれて、本当にありがたかったです。あと、本当にごく僅かでしょうが、この日記を読み続けてくれた方々、サボりながらも一応最後まで続ける事ができたのは、あなた方のおかげです。

 ありがとうございました。

第255夜から261夜

 入院期間の治療は終了し、血球の数が退院ができる値まで自然に上がって来るのを待っている状態。娘は元気だし、暇な日々が続いた。

 昨日、一昨日は一泊自宅に帰る事ができて、私の仕事は天気の関係でできなかったので、家族でゆっくり過ごした。夜になり、病院に戻れば今回は妻が付き添いをするので、私が車で送って行く。入院中の娘を病院に送るのは、おそらくこれが最後だと思う。病院に着く頃には、娘はほぼ必ずと言って良い程眠ってしまっているので、院内まで私が抱っこして運ぶのが通例になっている。娘はこの期間で急激に重くなった。少し前からよく食べるようになった。娘と妻を病院に送り届けた帰路は、以前は寂しくてたまらなかったが、今はもう、帰りにどこで何を買って飲もうか、などと考えている。

 今日は農薬散布を予定していたが、天気が微妙で明日にずらしたので、また休んだ。

 妻から電話があり、今朝の血液検査の結果、明日の午前、娘の左胸の上に繋がれたCVカテーテルの管を抜く簡単な手術をするとの事。その翌日、娘は退院するとの事。

 昼から、差し入れ等を持って病院へ面会に行った。病室に持ち込んでいる簡易ベッドに腰かけて、30分時間いっぱい家族と過ごした。寝返りも打てないこの狭いベッドでも、今ではよく眠れるようになった。

 

第233夜から254夜

 半年以上過ごした10階細胞治療センターから3階小児病棟に移り、入院期間中に受ける最後の治療は、予定通り2週間で終えた。後は娘の体の免疫機能がある程度まで回復するのを待って、いよいよ退院となる。最終の治療を終えて大体2週間程度が目安なのだが、採血をすると赤血球、血小板が低くて輸血が必要だったり、熱も出たりして、まだ少し日がかかりそうである。それでも娘は概ね元気な様子で、相変わらずスイッチ、ユーチューブ、加えて最近はポーカー三昧で過ごしながら、その時を待っている。

 こちらで担当してくれる看護師さん達も、気安い感じで、良くしてくれている。ただ、ここ小児科病棟に関しては大きな不満が一つあって、それは、デイルームに設置してある給湯器が、私達がこちらに移って来て以来、ずっと故障中で冷水しか出ない、という事である。お湯は出ません、と書かれた紙が貼られ、湯が必要な場合、ナースステーションまで貰いに行かなければならない。私は、付き添い中は暇なので一日6、7杯は熱いコーヒーを飲むし、食事の際には、娘の病院食の残りばかり食べていると無性にカップ麺が食べたくなる事があるので、自分のタイミングでお湯が使えないのはとても辛い。ここの看護師さんらが、命を守る現場で働いている事を重々承知している中で、カップ麺に湯を注いで貰いに行くのは、どうしたって遠慮してしまう。

 

 娘の退院が見えてきた9月下旬、義父が体調を崩した。詳しくは書かないが、場合によっては、私はいよいよ必死に頑張らななければならないかも、と思った。私は恥ずかしながら、生まれてからこれまで、必死に何かを頑張った事が一度も無い。向上心とか向学心といったものが、私には本当に皆無で、当然社会で役立つようなスキル、資格なども何も持たない。あるのは、与えられたシステムの中で何も言わずせっせと働くという、奴隷根性だけである。

 私は、専業農家である妻の実家の仕事を、将来的には継ぐつもりで、昨年1月より就農したのだが、農業という仕事は、基本がDIYである。私はこの「Do It Yourself」というのが凄く苦手で、ホームセンターで売っている組み立て式カラーボックスを自分で組み立てる事さえ、本当に嫌になってしまう程である。義父の仕事を見ていると、これだけの事を、果たして自分もやっていけるようになる時が来るのだろうか、と不安に思う事はよくある。しかし、義父の年齢で考えても、いずれは必ず、そんな事を言っていられる状況ではなくなってくる。一緒に仕事をしていても、だいぶしんどそうだ。

 暮らしがギリギリの所で保たれていて、本来自分の状況だと、いつこの土台が崩れてもおかしくはない。今の状況を支えてくれている義父母のために、次は私が奮起せねばならない。なのに、この期に及んで「まあ何とかなるだろう」などと、安易に考えてしまっている自分がいる。

 夜、付き添いの交代で病院へ行くと、ようやく給湯器の故障が直っており、もうすぐ消灯という時間になるのに、早速インスタントコーヒーを熱湯で溶かして飲んだ。だから、なかなか寝付けない。

 

 

第232夜

 娘が半年以上過ごした10階病棟から、3階の小児科病棟への移動日。お世話になったスタッフとの別れが寂しい。別段親しくなったわけでもなく、ただこちらが慣れた、というだけの人たちなのだが、本当に名残惜しい。何だか味方を一気に失うような不安がある。結局機会が無くて、挨拶したくてもできなかった人達はまだいる。中でもせめて、最後この人にだけは、きちんと感謝を伝えたかった。

 その看護師さんは、週に一度、担当になるかどうか程度だったが、娘がしんどい思いをする時には、どういう訳かこの人の担当時である事が多かった気がする。リハビリ中に貧血で気を失った時や、骨髄への注射、検査がある時、妻の付き添い中で、長い便秘だったのが深夜に爆発し、酷い嘔吐と下痢を繰り返した時も、この人がずっと側について、娘を励まし続けてくれていたらしい。病院食をあまり食べない事を心配してくれて、一時期は何度も栄養士を取り継いでくれたりして、相談に乗ってくれたりもした。

 声が少し低めで、去り際にはいつもニコッと目を細めて、マスク越しに笑顔を作ってくれた。娘がポケモンのアニメを観ていると、「うちの子の時代は、サトシやったなあ」と言っていたので、その口振りだと結構大きなお子さんがいるのかと、意外に思った。

 あと一度ぐらいは、娘の担当になる事はあるだろうと思っていたが、先週に病棟の移動の事を聞かされてからは、その機会は無かった。

 昼食後、引っ越しの荷物をカートに乗れるだけ乗せて、看護師さんら3人に手伝って貰いながら娘と廊下へ出ると、丁度、その人が新人の看護師さんと2人、別の病室に向かう所だった。こちらに気づくと、いつものように目を細め、娘の名を呼びながら手を振ってくれた。その笑顔を見ながら、私はせめて、干支ぐらい聞いてはダメだったかな、と思った。

第231夜

 午前中、このフロアの看護師長がやって来て、今から3階小児科にこの大学のマスコットキャラが慰問に来るので、一緒にどうですか?という誘いがあった。見せてもらったチラシには、学帽を被ったタヌキのキャラクターが描かれている。今の娘は外出を面倒くさがるので、どうかなと思ったが、意外にも「行ってみる」と言った。

 約半年ぶりぐらいに来た3階。明日からまたお世話になる。しばらくデイルームで待っていると、やがて、さっきチラシで見た2頭身のタヌキのキャラクターが、スタッフらに誘導されながらゆっくりゆっくり廊下を歩いてきた。娘の表情は、病室から出る際はマスク着用なので、よくわからない。微かに目が微笑んでいるようにも見えたが、記念撮影は誘われても断った。まあ、ついさっきその存在を知ったばかりのタヌキのキャラクターと、一緒に写真を撮りたいとはなかなか思えないかも知れない。ふつうの本当のタヌキだったら、きっと一緒に写真を撮りたがったと思う。お土産に貰ったこのタヌキの団扇とボールペンは、気に入ったようで良かった。

 日中は、天気も娘の気分も穏やかだったが、夕食を終えたぐらいから、外は激しい雷雨になった。窓の外のあちこちで稲光が走って、音も響いた。これほど激しいのは久しぶりだろう。娘は怖がって布団に潜ってしまった。これがきっかけでは無いだろうが、娘は少し気分も悪くなってきた。昨日の抗がん剤治療の際に一緒に入れた吐き気止めの効果が薄れてきたのかも知れない。新たに吐き気止めを入れてもらい、今日も早くに寝た。

 今日担当してくれた看護師さんらには、きちんと最後のお礼を言う事ができた。その内の1人は、娘のメインの担当看護師だったので、ちゃんと言えて良かった。この人は、夜勤の暇な時間帯に、娘の好きなポケモンのキャラクターを折り紙で沢山作って、病室の壁に貼り付けてくれたりした。すごく優しく丁寧で、少し融通が効かない所もあったが、そこが信頼もできた。娘の血球値が低めで、これを食べたがっているけど食べさせて良いのかが微妙なラインの時は、この看護師さんに相談しても絶対「やめておきましょう」と言われそうなので、あえて他の看護師や医師に相談するようしていた。それぐらい信頼が厚かった。

第230夜

 早朝だけ仕事して、昼前に病院の付き添い交代。今日より2週間、娘の入院中としては最後の治療が始まる。日中はあまり抗がん剤の副作用は見られず、ゲームなどをしていて概ね元気だったが、夕食後しばらくしてから、やはり少し気分が悪くなってきたようだ。早くに就寝。前回の治療の副作用と比べれば、随分ましな感じはある。ただ今回の薬は毒性も強いので、そのために大量に点滴で体内に水分を流し続けており、今夜は何度もトイレに行く事になるとは思う。

 明後日の午後に病室の引っ越しで10階から3階に移る。今日で最後の担当になる看護師さんもいるので、さらっとお礼ぐらい言いたかったのだが、何だか恥ずかしいのと、タイミングが上手く測れないのとで、結局言えなかった。また明日頑張ってみよう。

第225夜から229夜

 妻と付き添いを交代し、自宅に居る。苺の苗の植え付け時期が近づいてきて、その準備でなかなか忙しい。未だ暑さが厳しいのでぐったりする。義父はもう80近くなり、この環境は私より遥かに過酷だろう。私達夫婦の現状の生活を支えてくれているのは、義理の両親である。今日は敬老の日であり、英気を養って欲しいと、義父の好きなピザを買って届けた。義父は50年以上前、農業研修としてアメリカで2年間生活しており、その時代の向こうの暮らしは、楽しくもあったが苦労もかなりあったようである。その頃の影響だろう、義父はバーガー、ピザ、フライドチキン、ドーナツ等、アメリカを代表するジャンクフードが今でも大好物である。基本的には肝が据わっている人なのだが、自分でピザを注文する事ができないのは不思議だ。

 やはり病室の移動はあるとの事。時期ははっきりしないが、多分連休明けにも、今の10階細胞治療センターから、入院始めに入った3階の小児科に戻ることになる。もちろん担当医はこれまでと変わらないが、半年以上お世話になって、信頼できる看護師さん達から今更離れるのが、不安だし寂しい。妻は私よりもっと不安になっていて、夜眠る時、ストレスからか耳鳴りが酷い、などと訴えている。正直妻は、色々と考え過ぎる、という所はあるが、娘の事を誰よりも心配しているのはこの人である。 

 娘は、夜にビデオ通話をしてみると機嫌が良かった。妻と娘でポーカーに興じている。妻はポーカーなどした事なかったようだが、先日私が血液検査の結果の紙裏に書いたルールを見ながら、どうにかやっている。娘がビデオで私に手持ちのカードを見せて、アドバイスを求めてくる。娘に今日はツキがあるようで、フラッシュやらフォーカードやらをバンバン決めている。上機嫌で嬉しい。今の私達の家族の状況で、信じない奴もいるかも知れないが、本当に幸せを感じる。