労働と仕事について

年を明けて以来、一度死んで生まれ変わったかのように、真剣に、真面目に仕事を探している。
「働かざる者、食うべからず」と言うが、私はその働いていない間、モリモリ食った。おかわりもした。あまつさえ、酒も飲んだ。そんな自分に、嫌気がさし始めたのである。
毎週必ず、職業安定所に出向いている。また、県内で発行されている全ての就職情報誌を読み漁っている。正規、非正規を問わなければ、一時期に比べると求人は、あるにはあるように思う。しかしながら、私の33歳と云う年齢は微妙で、それに、私はこれまで、特にこれといった資格も取得してこなかった。更に、私はこの1年、仕事と云う仕事は殆どしておらず、堕落しきった日々を過ごしており、面接において、この期間何をしていたのかを指摘されると、返答に窮する。しいて云うならば、最近、妻の実家裏山の竹を切りまくっている事が、労働をしていた、と言えなくもないが、これが就職に有利に働くとは、我ながら思えぬ。
例えば、求職情報を見ていると、現在県内の求人で多いのは、圧倒的に病院、介護関連である。しかしながら先に記した通り、私に医師やヘルパーの資格など持っている筈が無い。では病院で働くにしても、そこの事務や総務ではどうか。面接の自己アピールにおいて、鞄からノコギリを取り出し、「私はこれ一本で、これだけの量の竹を切る事ができます」と、これまでに伐採した竹の山積み写真も見せるとする。した場合、直ぐさま私はその場に取り押さえられ、採用よりも、まずは検査入院、となるに間違い無い。
とにかく私と云う人間は、33年生きてきて、社会の為に貢献できる能力を何一つ培ってこなかった、無用の者、と云える。こんな私を雇ってくれる事業所など、果たして、そう有るとは思えない。私は音楽活動をやっている。もし才能があれば、芸能、と云うジャンルにおいて収入が得られるだろうが、そんな事はこの先、天変地異が起こっても有り得ない。やはり地道に生きるべきである。
ここは、求職の手段を職安や求職情報誌からだけでは無く、更に選択肢を広げる必要があると考える。その為にも、そもそも世の中の「仕事」には一体どのような種類があるのかを知っておこうと、「西洋"珍"職業づくし」「大江戸復元図庶民編」などの書物を読んで研究をした。
「西洋〜」はタイトルから内容は解るだろうが「大江戸〜」は江戸の町の様々な職業や生業などを図入りで紹介している本である。時代こそ古く、現代においては需要が無くなり廃れた仕事も多いが、それでも必要されていたからこそ、仕事と成り得た訳で、きっと自分のこれからの就職の為のヒントがある筈である。私は真剣なのだ。
すると、有った。こんな無資格で年齢も問わず、才能も要らない、私ぴったりの仕事が。
それは「丹波で生け捕った荒熊」である。一聴すると「何?」あるいは「パードゥン?」といった反応があって然りだが、説明するとこれは、江戸に存在した一種の大道芸、言わば芸能の仕事である。
まず自分の全身を煤で真っ黒く塗り、腰布一枚になる。そしてその姿で商店などの玄関先に這い蹲り、細い竹で地面を叩きながら「丹波で生け捕った荒熊でござい、ひとつ鳴いてみせましょう!」と口上を述べ、唇をぶるぶる震わせる。すると店の主は、商売にならないから嫌がって、小銭を与えその場を引き取ってもらう、と云った内容の仕事である。この起業にあたって、唯一必要となる元手は、口上の拍子として、地面を叩く時に用いる細い竹のみで、今の私はその竹を、有り過ぎる程持っているのである!
もう、これしかない。私はこれからは「荒熊」で家族を養ってゆくつもりです。と、ずっと心配してくれていた知人に報告をした所、一度死んで生まれ変わった方が良い、と言われました。