はや一月が終わり

仕事が決まった。
今までに二社の面接を受けていて、返事が遅いので駄目だったのだろうと諦めかけていた所、予想に反しその内の一社より採用の通知があった。携帯へその電話があった時、私は外出をしていたので、すぐ家に帰り妻にその事を報告した所、何だか、父親がおみやげに甘栗を買って帰った、みたいな妙に残念な表情をする。
通常、一家の大黒柱であるべき筈の自分が無職状態から復帰、収入が得られるようになる訳であるから、安心、手放しに嬉しがるのが普通だと思うのだが、そんな表情である。何故そんな顔をするのか尋ねると、今まで同志のように思って共にダラダラしてた私が、先に勤め出す事になってしまった寂しさ、それと、これからは好きなタイミングで旅行に行けなくなる、と云うような事が主な理由のようである。
正直に言えば、私自身も春ぐらいまでに決まれば良いかな、など考えてたものが、意外に呆気無く無職生活の終焉を迎える事になってしまい、まだ少し旅をしたい場所もあったりで、志半ばの気持ちもある。
何とも堕落しきった夫婦であるのだが、本来は喜ぶべき事。ささやかではあるが、祝いをして気持ちを明るくしよう、と昼食に久々の回転寿司へ行った。
ハレの日といえば寿司、これも仕事が決まったからこそ、と威風堂々、風を切って入店。店員の案内でテーブルに着き、さあ、景気良く寿司を食おう、と目論んだ。ところが。
15時前と云う中途半端な時間帯もあってか客は殆どおらず、レーンにはあまり寿司も流れていない。たまに流れて来るのはイカ細巻き、わさび茄子などの地味な色の寿司ばかり。それらを取って陰気に食べていると、新しい仕事へ意欲が沸くどころか、異なる業種へ転職する事の不安、とか、ブラック企業やったらどないしよう、とか、次々に心配ばかり思いつき、祝いのつもりが通夜のようである。
それでも各席に設置されてあるタッチ式の機械で、流れていない寿司も頼む事ができるので、私は好物のカンパチを注文。しかしこんな気持ちで食べるものだから、気のせいか、いつもより魚も新鮮じゃない気がして、そのぶよぶよした食感が、何だか老人の指をしゃぶっているような感覚になり、自分で想像して気分が悪くなった。
このように久々の外食で、私の就職を祝ってみたのだが、二人して憂鬱なままである。こうなれば今日一日はうんと遊ぼう、と外食同様に久しく控えていた、車で30分程の場所にある神山温泉に入り、気持ちをリフレッシュさせようと試みた。
これは正解だった。やはり温泉は良いものである。広い湯船で温まり、身体を清めると、新しい仕事、生活への不安など、垢と共に落ちてゆく心持ちである。ここ神山温泉は妻のお気に入りなので、彼女もきっと、湯に浸かって同じ気持ちになっただろう。とにかく頑張ろう。
心地良さについ、長風呂をしてしまった。ふと、自分の手に気が付くと、指が湯でふやけてぶよぶよになっており、まるで老人の指のようで、それを見てまた気分が悪くなった。