九州うまかもん紀行 1

九州を中心に旅行に出掛け、無事に帰り着いた。
途中、猛獣や山賊に襲われるような手に汗握る冒険奇譚も、燃え上がるようなラブ・ロマンスも皆無である、相変わらず地味な夫婦による、地味な旅行文を、曖昧な記憶を辿りながら記す。

11月16日。
昨日から眠らず早朝2時前に出発。
南海フェリー、午前2時55分和歌山港行きに乗り込み、和歌山港から南海電鉄関西空港へ、ジェットスターの格安航空を利用し午前9時前に福岡着。一度、本州で東に向いて、遠回りのように思われるが、この行程が最も旅費が安く済ませられ、時間もあまり掛からない。

博多駅から特急サザンに乗り、本日の宿をとってある長崎へ向かう。
車内で朝昼を兼ねた食事。博多駅で買った中華唐揚弁当。
周りを見渡せば、学生風の乗客が多く、それらはパンを齧っているのが見受けられる。
「若いコはパン」「おお、若いコはパンやな」我らもはや、おっさん、おばはんの会話。

途中、佐賀県は通り過ぎる。今回の旅で唯一、沖縄を除く九州旅で、佐賀だけ全く立ち寄らなかったのであるが、これは今回の日程上やむ終え無かった。
昔、「佐賀を探そう」なんて随分自虐的なコピーを掲げていたが、ライブでは何度か来ているが、何と言っても自分にとっては、素晴らしいメロディックバンドが沢山いる良い県だと思う。


昼過ぎ長崎着。
長崎は今日も雨だった」と云う歌があるが、今日は曇りだった。
福山雅治蛭子能収を産んだ町。
長崎は中学3年の修学旅行以来なのだが、私は誰の陰謀か、当時クラスから男女問わず人望が無く、昼休みには一人、図書室でブラックジャックを読んで過ごすような青春を送っており、唯一、幼馴染で同じクラスの、ほぼ不登校のS君と二人で、ハウステンボスグラバー園、北九州ではスペースワールドを回った記憶が薄っすらとあるばかりで、まあ中学生に旅の本当の楽しみなど解る筈も無く、だからあまり思い出に残っていないのだろう、と云う風に考えるようにしている。
そんな私も18年の年月を経て、今や立派に結婚をし、そりゃ時に躓いてもいるが、気持ちは非常に充実した日々を送る事ができている。
しかしながら、やはりもう一度グラバー園ハウステンボスを訪れたいとは到底思えず、今回は美しい坂の町をゆっくり散策したり、中華街で角煮まんじゅうを食べたりした。
中華街では修学旅行中の中学生が、4、5人ごとの各グループで、楽しそうに、同じく角煮まんじゅうを頬張っていた。
それを見て私は「ふふっ、自分は今、充実しているんだよ。」と、心の中で呟いてみた。