梼原紀行駄文 1

高知県梼原町へ一泊旅行。
せっかく今月から再び職無しとなったのに、6月は旅程が無いのは勿体無いと思っており、以前より訪れたかった梼原へ、週間天気予報で梅雨時期、降水確率が低かったこの二日間を見つけ、このタイミングしか無い、と行動に出た。
準備は旺文社の中国四国道路地図と着替えぐらい。今回は初めての一人旅なので前日は緊張してよく眠れんかった。
朝8時過ぎ出発。
梼原は愛媛との県境近くの山の中の町で、鉄道は通っておらず、バスはあるにはあるが本数は朝、夕の僅か、でやむ負えず移動は自家用の軽自動車。
一人は気楽ではあるが、好きでも無い運転中、目的地まで約四時間が退屈だし、高速道路においては眠くなりそう。
運転中用に選んだ音楽はmodern machinesの2nd、what a nightsのアルバム、ムーンライダースのベスト、INU「メシ喰うな」。
高速運転中に「ダムダム、弾、ダムダム、弾」をお経のように口ずさみ続けると、脳が覚醒したのか全く眠くなる事は無かった。

須崎東インターで降り、国道56号から国道197号へ、海沿いの町から山の中へと入ってゆく。
川や谷などの自然、途中あちこちに見える旧道、集落の美しさに余所見をしてしまいながら、道は走り良いのでどんどん車を進める。山が深くなる程、雨雲が厚くなって降ったり止んだり、不安定な天気となっていった。

12時過ぎ、梼原町に入りトンネルを二、三抜けると、197号沿いに「道の駅梼原」があり、立ち寄る。この道の駅、所謂、道の駅ブームなんかによるレジャー感覚は無い。観光用に茅葺小屋や水車小屋を敷地内に置いたりしているのだが、それら丸ごと周囲の山の影が駅全体を覆っており、何だか暗い。店内の商品を見ても、地元の野菜、餅、雉肉などが主で、流行りのご当地ゆるキャラのようなのも当然存在しない。
慎ましくて良いなあと思っていたら、その隣にはこの場の雰囲気に似つかわしく無い、プール付き巨大ホテルが併設になっていた。

道の駅からもう一つトンネルを抜け、北に伸びる国道44号線へ曲がると町の中心部。山の中に突如、別世界のような整備された道と洒落た建造物が現れる。
宿もこの辺りでとってあるので、中心部の散策は後でも出来る。天気も心配だし先にこの旅の最大の目的地を目指そうと、昼飯に適当な店で蕎麦を食べ、さらに山深く。

私が梼原に興味を持ったのは、ここが民俗学者宮本常一「忘れられた日本人」に収録されている「土佐源氏」の舞台だからである。作品については記さないが大好きで何度も読んだ。
この土佐源氏本人が、その下に小屋掛けして住んでいたという橋を実際に見たい。道中、いよいよ奥の道に来ると私の持っている1/200000の道路地図はおろか、アイフォーンの地図も、電波は届かず役に立たない。
それでも見にくい標識や、たまにある自販機に記された住所を確認しながら進む。最も助かったのは橋の近くで週末だけ営業しているらしい、パン屋への道案内看板であった。
30分程度。
目的の竜王橋に辿り着く。勿論50年以上前の話なので建て替えられてはいるだろうが、土佐源氏の世界がより鮮明に理解できたように思う。感動。残念なのは雨が降っており周辺の集落はじっくり歩いて回る事ができず。

そこからまた車で山を上がり、美しい高原がある観光名所、四国カルストに向かうが、標高が高くなる程、雲か霧が深くなり、ただでさえ狭い峠道、視界が10m先も見えない。かなり危険を感じだし、途中で断念。勇気ある撤退。

再び中心部へ戻り、一旦宿へ。
普段はビジネスホテルばかりで、民宿へ泊まるというのも初めて。
土間を上がり、二間続きの和室奥が私の宿泊する部屋。部屋を区切る襖にメモ帳の付箋で「大久保様、素泊まり」と書いたのをペタと貼ってあり、襖挟んだ手前の八畳程の部屋は、朝6時半と夜18時半からの半時間ぐらいは、長期滞在している土木関係者が食事をするから、ちょっと騒がしいけどゴメンね、と宿主の高齢夫婦に代わり実質経営者である60歳位のその娘さん。
ああこれが民宿か、と嬉しくなる。