梼原紀行駄文 2

小雨の中、梼原町の中心部を散策。夕飯の調達に宿近くのスーパーへ。
缶ビール500ml、カップ酒、豆菓子、スモークチーズ、聞き慣れないネイリという魚の刺身を購入。
こんな山ん中で食う刺身が美味いものかよ、と思ったのだがどう見ても美味そうで、実際美味かった。後で調べるとカンパチ。高知での呼び名であるとの事。

宿の部屋で夕飯を始めていると、2階に滞在している土木関係者の2人組が帰ってきたようで、聞いてた通り、襖一枚向こうの部屋でも彼らの夕飯が始まる。
別に騒いでる訳では無く、普通のトーンで楽しく食事をしているようだが、なんせ襖一枚、おかみさんも会話に加わり、明日の天気の事、現場仕事の進み具合、息子の話などが、全てこちらに聴こえてくる。もし素泊まりでは無く、食事有りにしていれば、自分もこの中に混じるのだろうか、だとしたら流石に気詰まりやなあ、なんて考えてたらやがて隣は静かになり、食事が終わった様子。
これで少し落ち着くと思ってると「大久保さん、ちょっといい?」おかみさんの声。
出てみると「ご飯、済んだ?」「いや、スーパーで適当に買ってます」「シチュー、良かったら食べる?」「あ、んじゃ戴きます」「明日朝もパンケーキ焼くから、サービスしとくから」「あ、すんません。んじゃ戴きます」
結局素泊まりなのに二食付き。ビジネスホテルでは味わえぬ、誰かの家に寝泊まりしてる感覚になる。

おかみさんに、何故この辺りはこれ程まで綺麗に整備されているのかを尋ねた所、町が整備されたのは今から5年程前。当時、国から地域振興のための交付金が下りた際、その使い道を町全体で話し合った。
結果、この町の使用する電気は、周りの豊かな自然環境に配慮した、風力、水力等の自然エネルギーで賄い、エネルギーの100%地産地消を目指す、と決め、それに向けて町を作り変えたのだそう。その後、梼原町は国から環境モデル都市という物に指定された。
しかしながらその為の道路拡張の時に、立ち退きで廃業した古くからの店が結構あったようで、結局仕事が無くなった町民達が町を離れ、人口は当時よりも200人程減っており、これで本当に良かったのかわからない、とも言っていた。
確かに私も、宮本常一が旅した頃の古い町並みが残っていれば見たかった、とも思うが、私のそれは単なるつげ義春かぶれのノスタルジー趣味で、町の目指す方向としては素晴らしいとしか思えず、最近の状況からすれば、ここに住みたいと考えて若い人も来るようになるんじゃないですか?なんて知ったげに私がおかみさんに言っみたが、「とにかく仕事が無いとね」と、やはり外から見る側からではわからない問題があるようだ。
「私も仕事、無いですしね」とは言わなかった。

翌朝、パンケーキを食べて、もう帰るだけのつもりだったが、おかみさんに「今日は雨降って無いし折角だからもう一度、四国カルスト行ってみれば?」と言われ、再度アタックを試みようと思った。
インターネットで現在のカルストの映像が見られるというのも教えてくれたので、念の為確認。
雲で真っ暗。何ちゃ見えん。
またいつか梅雨を外して来てみたいと思う。