竹と日本人

今春以来、裏山の細い入口を抜けると、竹藪だった。

妻の実家の裏山が、ここ数年ほったらかしになっていた為、荒れ放題になっていると言う。
毎年春になれば、私はこの山の竹林へ筍を掘りにゆくのを楽しみにしているのだが、確かに年々、山に入る道が険しくなっているような気がするし、竹林自体、枯れた竹が倒れ掛かっていたり、竹以外の木々が生い茂る自然なままの姿だったりするので、筍を掘るのに邪魔になっていた。
そこで、これからの春の楽しみの為にも、いっちょやるか、と山の手入れを行う事にした。

妻の実家の庭から山へ少し上がって、いつも筍掘りの際に通っている、納屋の真裏に沿った崖道から竹林に入るつもりでいると、妻が、そっちの道じゃ無い、と崖道の一つ上段を指差した。
その方向は、自分が見る限り、ただの鬱蒼とした竹藪で、到底人が通られるようには思え無いのだが、かつてはこの上段側が本来の竹林への道で、よくみると確かに、藪の間、獣道のような筋が僅かに存在しているのが判る。
さらに言うには、妻が幼い頃には、この上段には現在ような藪は発生しておらず、ちょっとした広場になっていて見晴らしも良く、ここでピクニック気分で弁当を食べたりしたのだそう。
彼女はこの山をその時代のように蘇らせたいのである。
これは予想より遥かに大変な作業になる。なんせこの藪を形成している竹、筍として採っている孟宗竹では無い、直結1〜2cm位の、詳しくは判らないが後に調べると多分、熊笹という種類かと思うのだが、それが1000本ではきかないくらいに広範囲、かつ密集して生えており、これを全て伐採するにはどれ程の時間と労力が掛かるのか想像がつかない。

皆が思っている程、私だって暇では無い。現在だってブックオフに通い「月下の棋士」の全巻読破を目指しており、立ちっぱなしで辛い。
だが私はやろうと思う。
山が泣いているのだ。この笹を全て刈り倒し、私の手で美しい竹林を甦らそうと思う。
そしてここを大久保筍ファームとし、生産した筍はブランド化、「里のたけのこ」と名付けよう。
明治製菓が商標の問題で訴えるなら構わない。その時は徹底的に争うまでさ。