最高中の最高

望月ミネタロウ「ちいさこべえ」の完結を読んだ。
素晴らしかった。一コマ、一コマが胸をうった。興奮と感動で、手の指先まで汗をかいており、そんな指でじっくりとページを捲ってゆくものだから、読了後、全ページの指で捲った部分が、湿ってシワになってしまった。山本周五郎の原作は漫画が完結するまで読まないと決めていたので、これから読むつもりだが、そちらも楽しみである。

働いて無かった頃は、とにかく暇で仕方が無いので、一日の大半を本を読んで過ごす事が多かったが、再び仕事に就き、働いて帰り、風呂に入って酒を飲んでしまうと、すぐ眠くなって本が中々読めなくなった。
内田百閒の随筆に、
「本を読むのが段々面倒くさくなったから、なるべく読まないようにする。読書と云う事を、大変立派な事のように考えていたけれど、一字ずつ字を拾って、行を追って、頁をめくって行くのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いているようなもので、うるさい。目はそんな物を見るための物ではなさそうな気がする。」
とあり、挙げ句の果てに、
「人が書いたものを読まない様にして、自分が読ませる原稿を書いているなども、因果な話である。人間の手は、字を書くのに使うものではなさそうな気がする。」
などとあって、百閒ほどの人物であっても、こんな調子なのだから、自分なんぞが本をあまり読まなくなったてしまうのも、何ら当然の事なのだと思う。
しかし、こんな面白い百閒の文章は、それでも読みたくなってしまうのも、また当然の事で、仕事の昼休みに、昼食後の半時間くらいを利用して少しずつ読んでいる。
そして現在、家で読んでいる本は宮沢章夫「時間のかかる読書」というエッセイである。この本は、横光利一の「機械」と云う、二時間もあれば十分読めるだろう短編を、十一年かけて読む、と云う大変ぐずぐずな内容で、無職時代に読んだ「機械」がとても面白かったので、こちらにも興味を持ったのだが、現在の自分の読書環境では、寝る前に二、三行読んだだけで激烈な睡魔に襲われてしまい、私はこの本を読み終えるのに、一体何年かかるかわからない。