プロレタリア工場

10ヶ月振りに職に就いた。
仕事が始まる前日はライブだった。楽しかった。
ただでさえ、日曜に楽しいライブがあり、その翌日の仕事というものは憂鬱なものだが、私の場合は10ヶ月以上に及ぶ空白後の、ついに迎える「月曜」なのである。
私の住んでいる地区では二週に一度、月曜朝に缶と瓶をゴミ置場に出す決まりである。たまに缶詰の蓋がビニル袋を切ったりする事があるので、袋を二重にせねばならず、面倒臭い。この程度の事を面倒と感じてしまうまで堕落した自分に、これまでの生涯で最大となるであろう「月曜の憂鬱」に、耐え得る事ができるのか、不安である。
この仕事がまだ、幼き頃から憧れ続けてきたような職に、ようやっと就く事ができる、と言う場合であれば、希望に満ちた月曜となる筈だっただろうが、私の場合、職業安定所で「ちょっといいかも」、と思った会社の試験を落ちに落ちて、最後に流れ落ちた笊の上での派遣工員なのである。こんな書き方をすると、これまで何年も派遣労働者として立派に勤めて来た人に対して失礼かもしれないが、その人だって最初から「派遣社員に、俺はなる!」などと言う具合で、野望、志を抱き派遣労働者になった訳ではないと思う。誰だって最初は、宇宙飛行士だったり、調理師だったり、横綱だったり、大なり小なりの夢を持っていたんじゃないだろうか。
私の派遣先は、誰もが知っている超巨大電機メーカーの工場である。中小企業でしか働いた事の無い自分にとって、人数、施設、全てが桁違いの規模で、その中で組織が細分されており、この集団活動が、何だか学校のような雰囲気がある。と言うより学校という世界が、このような組織で働く為の、予行演習の場だったのだろう。新卒で入社し、3年も働けば、典型的日本人のできあがりである。こんな巨大企業で社員として働いている者は、殆どが犬か豚のどちらかで間違い無く、私はこの連中に心を開く事は無いだろう。昼休みは、食堂で一人、社員が130円で食えるうどんを、20円高い150円を支払って啜り、休憩室では、周囲で談笑する正社員達を時々睨み付けながら、「蟹工船」を読んで過ごすつもりである。

私が配属されたのは、ある製品の試作をする部所である。
工場の派遣の仕事と言うと、延々と単純作業を繰り返す、というようなイメージを私は持っていたのだが、実際に生産の部所はそのような所もあるらしいのだが、試作となると中々思ってたより作業が複雑で、これについては、少しは仕事の面白味があるようで良かった。とは言っても、まだ入所したばかりの私が現在できる作業はあまり無く、試作品を作る為の、ある機械の分解洗浄で殆ど時間を費やしている。詳しくは説明しないが、試作品を作る工程で、ある段階を終える度、その機械をバラバラに分解し、各部品に付着した塗料を全て洗浄、再び組み立てる、という作業である。この組み立てはプラモなんかを作っている様な感覚があって、ちょっとばかり楽しいのだが、洗浄作業はあまり気持ちの良いものでは無い。勿論、洗浄の際にはゴム手袋、防護マスク、ゴーグルを着用の指示があるのだが、この厳重さが、この塗料に使用されている薬品がどれぐらい人体に影響があるのか、不安を掻き立てる。
実際この作業を長時間行っていると、私は徐々に頭痛を覚え始めた。防護マスク、ゴーグルをしっかりと装着しているにも関わず、頭が痛むのである。こんな厳重にしても、まるで気休めではないか。一体何の薬品に、ずっと私は触れているのだろうか。たった数時間でこの調子では、契約更新のある3ヶ月後にはどうなってしまうのか。多分、私の脳、肺、皮膚はすっかり薬品の毒に侵され、廃人同様と化すだろう。資本主義社会による豊かさ、便利さの陰には、私達のような弱者の犠牲が多く払われているのだ。
このままでは済まさぬ、我々は決起せねばならぬ、いつ?明日か?
そう心に思った時、「大久保さん、ゴム、調節出来ますんでね」と、最も若い社員Tさんが教えてくれた。
確かにゴーグルと防護マスクはキツキツだと思ってた。でもそれは僅かな隙間からも薬品が人体に入らぬよう、そういう設計の物だと思っていたのである。どうやら私は長時間に渡り、本式よりはやや緩めではあるが、顔面にプロレス技のアイアンクロウをくらい続けているのと同じ状態だったのである。
働き始めて一週間が経過して気付いたのだが、ここの社員の人達は、とても優しい。