ステイゴールド

免許証の更新ハガキが届いた。
私は4月が誕生日なので、その前後、3月の半ばから5月半ばまでに更新の手続きをせよ、と書いてある。今ならまだ時間があるので、空いている平日に行って済ませる事にした。
運転免許センターは去年、徳島市内の南端、大原町から板野郡旧徳島空港の建物へ移転した為、私の家からは少し遠くなってしまった。運転免許センターなど、更新時以外、行く機会なんてそう無いので別に良いのだが、大原町時代の思い出が無い事もない。
高校3年の時、周りが自動車免許を取得し始めた頃、お金が無かった自分も、何でも良いから免許証が欲しくなり、ある夜思い立って、その時たまたま一緒に遊んでいた友人とそのまま一夜を明かし、早朝、大原町の運転免許塾へ、原動付自転車免許の講義を受けに行った。
真っ暗な午前2時、3時あたりから、畳敷の教室に40人くらいは集まっている光景は、何か怪しげな雰囲気だった。講義を行うのは70歳には届くであろう細高い老人で、妙な事に、彼の立つ教卓には猫がじっと座っている。時々は動くので置物では無かった。ただでさえ、徹夜の脳にこの老人のボソボソ囁くような講義口調は眠りを誘う。そこに更に、途中休憩を挟むと、それからはこの老師はどこかへ姿を消し、代わりに彼の声が吹き込まれたカセットテープでの講義になって、よりトーンは単調さが増す。でも相変わらず猫の方は、ちゃあんと教卓にいて、伸びたり縮んだりしている。もはや、眠るな、と言う方が無理な環境なのである。
それをどうにか堪え、最後に模擬試験を受けるのだが、この時出題された問題は、どういう訳か、その日の本番の試験にも、全くと言って良いほど同じ内容で出題されるようになっているので、試験当日にこの塾の講義を受けていると、筆記テストと講習のみで取得できる原付免許は、まず合格ができる、という仕組みになっているのだ。県外の友人に話すと、やはりどこでも同じようなものがあるみたいで、高知の場合だと、このような塾の事を「ヤミ」と呼ぶらしい。
恐ろしく眠いがこれで準備は万端である。さあ本番、と臨んだのだが、受付で、試験には住民票の写しが必要です、と言われ、夕べの思い付きでやって来た私と友人に勿論そんな用意など無い。結局、徹夜をする損だけをして、ふらつきながら家に帰った。
移転後は今回初めて訪れる。
車でバイパス55号線を北上途中、交通情報の電光掲示で、高速道路徳島道にて、どこそこから鳴門までの区間、キリの為通行止め、との表示が出ている。そんな様子が、現在走っている場所からは全く感じられ無かった為、大袈裟のように思っていると、今切川に掛かる加賀須野大橋を渡った直後、辺りが本当に霧に包まれた。旧徳島空港のあった現在の運転免許センターに着くと、なお一層霧は濃く真白で、何か不吉な感じである。
まだ改装したばかりの建物に入り、係の案内に従って、手続きを進める。
嬉しい事がある。私は、前回の更新より今まで無事故無違反だった為、今回初めて、免許証の次回更新日のラインの色が、ブルーからゴールドとなるのである。
ここの所、私は、会社から不合格の通知を何度も受け、社会から自分は不必要であるという現実を突きつけられ続けた。その私が、交通社会においては極めて優良、人格者であると認められたのである。これは誉れである。自動車の運転は性格が出ると言う。表面上は一端の社会人の顔をして、スピード違反をする者、携帯電話で話しながら運転をする者、黄色信号を確認するや、急いでアクセルを踏み込む者、所詮、我が大事の我利我利亡者ばかりではないか。
ストレス社会。
現代を生きる我々の中に、これに流されず、誠実、安全な運転を行い続けるなど、どれほどの人間に出来るか。狭き門の筈である。一般に免許更新に来た者と、私ように優良の認定を受けた者では、更新の為の講習を受ける教室は別に分けられる。平日でもあるし、私と同じ教室で受けられる人はきっとごく僅かだろう。それもさぞ立派な紳士淑女、或いは高野聖のような徳の高い人物達に違い無い。
そう期待して、優良者用の教室に入ると、意外と居る。というより並べられた50席くらいはほぼ満席である。定年を迎えたであろう老人が多く、それ以外にも立派そうな人もいれば、そうで無い感じの人もいる。きっと、単にペーパードライバーの人も居る。
そうなのだ。ゴールド免許なんて、そんな物なのだ。
出来上がった新しい免許証を確認する。金色というか黄土色のラインの上に、次回更新は平成32年とあるのが、凄い先の未来に思える。更新前の免許証よりも、写真はなかなか良く撮れているように思う。