愛と憎しみの行方

自分たちに子ができるまでは、あまり子どもは好きではなかった。それ以上に、子を持つ親の本能的な「強かさ」が、「図々しさ」に思え、嫌だった。私たち夫婦は、何もかも好みが合わないのに、こんな事だけは共通の価値観として持っていた。
車を運転していて、前方に「BABY IN CAR」あるいは「KIDS IN CAR」などと書いたステッカーを貼った車が走っていると、助手席の妻は「見て、あなた。あれは子どもが乗ってるんだからこっちの運転を気をつけろって事かしら?そっちが気をつければいいじゃない」など文句を言い、それに対して私も「ああ、ムカつくぜっ」などと悪態をつくのである。
「BABY IN CAR」のステッカー、赤いワーゲン、女性ドライバー、この条件が揃った車の運転が最も危険である、これは私たちが経験上で導きだした結論だ、という事を、かつてHAMKの荒瀬君に話すと、彼は面白がりながらも「あれは昔アメリカであった事故で、車中の赤ちゃんに気づかず救出が遅れた、なんて事があったから、事故があった場合には赤ちゃんを最優先で助けて、って意味なんですよ」と教えてくれた。
私たちにも子どもができた現在、その事を思い出し、妻は「この子に何かあったらどうするの?一刻も早く貼りましょう、BABY IN CARを」と急かすので、近い内にも貼るかも知れない。もうCHILDぐらいにはなるのだが。

ここ最近の、幼い子どもが犠牲になる事故や、虐待のニュースも、もはや他人事とは思えなくなり、胸が痛む。妻も、せめて幼い子たちだけは恐怖、苦しみから守る方法はないものか、などとよく話す。そんな大きな事でなくても、以前は苦々しく思えた、子どもの大声奇声を上げて走り回る姿を見ても、絵に描いたような中流家庭の親子連れが、幼子を真ん中にして手を繋ぎ、私たちの行く手を阻んでいたとしても、今は舌打ちなどせず、微笑ましく感じられるようになった。
ところが人の持つ愛や憎しみの感情は、どちらも量が決まっているため、子どもに対して愛が注がれるようになった分、当然憎しみは新たな矛先を向くようになる。

車を運転していて、前方に小さく「H」のマークのステッカーを貼った車が走っている。この「H」のマークは、県内最大の企業「日々亜化学工業株式会社(仮名)」のイニシャルからとったもので、このステッカーを貼った車を運転する者は、そこの社員である事を意味する。数年前から、県南部に本社工場のあるこの会社に勤める社員とその家族が、私たちの生活範囲のこの近くにまで居を構え出し、その通勤退社の車の列は、近隣の渋滞の大きな原因となっているのだ。
「見て、あなた。前の車、日々亜化学の社員よ。きっとこの夏もボーナスたっぷり貰うのよ」「ああ、ムカつくぜっ」
私は去年の夏、会社の業績不振でボーナスをカットされたのである!