最後の晩酌

今年は酒をやめようと思う。
こう書くと、現在の自分がいっぱしの酒飲みであるかのように誤解されてしまうが、私は缶ビール一本でも顔が赤くなってしまうくらいで、酒は弱い方である。
そんな調子だから、仕事から帰り、晩酌をしてしまうと、すぐ頭がぼんやりしだして、もうその日は何もする気がなくなる。布団に潜り込んでから、せめて本でも読もうとページを開くが、大抵その見開きのページすら読みきらないうちに、眠り落ちてしまう。

昨年、ちょうど今の仕事に再就職してから、ずっとこんな調子の日々で、バンドの楽曲の創作活動にも当然影響はあり、気づいてみれば、去年は一年でたった一曲しか作らなかった。
妨げとなっているのは、自分の場合、明らかに肉体労働の疲労と飲酒よる睡魔であり、このままではまずいと、昨年暮れあたりから、晩酌をやめようと考えるようになったのである。
ところが、今年に入ってもうすでに三週間が経過するというのに、酒を飲まなかった日は、ただ一日も無いのである。

これにはもちろん、正当な理由がある。
本来ならば、キリ良く今年から禁酒、としたかった所なのだが、我が家台所、流し台下の収納には、去年から常備してあったパック入り蕎麦焼酎と、義母が昨年作ってくれた梅酒が、まだ残っていたのである。これらを捨てしまうのは勿体無い気がしてならない。妻は酒を飲まないので、処分するには私が飲み切ってしまうしか無いのである。
私は年の始めの連休を使って、やむ終えず酔っ払いながら、残りの酒を空けていった。そしてようやく我が家から、創作活動妨げの元凶である、アルコールの殲滅に成功したのである。
これで私は心おきなく、仕事終わりの夜の時間を有効利用して、毎晩作詞作曲活動に勤しめるというものである。
今年は頑張って二枚組音源を発表しよう。そう思ったところが。
私はある重大な計算間違いをおかしていたのだ。
何と冷蔵庫に、焼酎と梅酒を割るために買ってあったペットボトル入り炭酸水が、まだ半分以上も残ってしまっていたのである!
私は、この味の無い炭酸水を、そのままで飲む事ができない。妻も「この寒いのに欲しく無い」と言う。この間にも、すでに一度空けてしまったペットボトル入りの炭酸は、どんどんと気が抜けてゆく。
余りに勿体無く思った自分は、再び蕎麦焼酎を買いに、スーパーに出かけざるをえなくなったのである。
私はこの失敗を教訓に、アルコールと炭酸水を同時に飲み終える事を最重要課題とした、完璧なバランスのソーダ割りを作り続け、またしても不本意な酩酊を繰り返した。時には、湯割りやストレートを織り交ぜ、焼酎の消費を速めるなどの工夫も必要だった。
そしてついに、この家からアルコールと、その割材を無くす事にも成功したのだ。
が、苦労は常に報われるものでは無い。むしろ残酷な事が多いのが現実である。
私が今後のバンドの成功の為、苦しみ抜いた末に家に存在した焼酎と炭酸水を全て飲み終えたのは、時にして1月7日の夜。
そう。その翌日1月8日第二日曜日は、大相撲初場所の初日なのである。
大相撲の本場所は一場所15日。それが年に6場所あるので、私はその90日は、ほぼ酒を飲まない日は無い。国技と呼ばれる相撲は競技であると同時に神事の側面も強い。
神事に、酒は欠かす事ができないのである。神事において酒を飲む事は、神様に近づく為の手段であった。酩酊状態が理性を遠ざけ、より神様の声を聴き取り易くすると、考えられた為である。
たびたび、名曲とされている歌のメロディや歌詞は、天から降って来る、といった話を聞く。酔っている今ならば、神様から曲のアドバイスを聞くチャンスかもしれんと、酩酊状態で浮かんだメロディや歌詞をアイフォーンなどに記録した事もあるが、翌日確認してみると、やはり、ただの酔っ払いの、機嫌の良い豚の鳴き声のような鼻歌が録音されていただけで、到底、曲に仕上げられる代物は無いのであった。

結局の所、今年に入り、今日まで酒はやめる事はできず飲み続けている。本日は千秋楽であったが、今場所、稀勢の里が念願の初優勝果たした。この優勝が、ここ10年以上の大相撲ファン達にとって、どれ程の意味を持つか。酒を飲む、やむ終えない理由はまだまだある。
私はこれから、新町川ブリュワリーでビールを飲んで、そのまま新町川に飛び込もうかと思っている。