遅ればせながら、CROWBAR10周年、おめでとうございます

8/14。
徳島で最もよく利用させて頂いているライブハウス、CROWBARの10周年記念ライブが8/12から8/15、阿波踊りの期間、4日間に渡って行われ、我々はその3日目に参加。
CROWBARは自分達の直接の先輩筋に当たると思っているバンドhush puppyのタロウ氏がオーナー、What-A-Nightsジョージ氏が創業時より(当時はminority blues band)現在までPAを務めるライブハウスで、ここのオープン翌年から、我々も現在のバンドを始め、活動初期から本当によく面倒を見て頂いていた。
にも関わらず、我々はと云えば、「恩を仇で返す」とはこの事ですよ、と言わんばかりの泥酔演奏を度々繰り返し、「因果応報」とはこの事ですよ、と言わんばかりの人気の無さで、それでも何か未練があるのか現在も活動中。

だがこの日は幸いと云うべきか、このようなお祭り的なイベント時には最も危うい大輔が、先日より高熱を出しており、酒が呑めんと言う。
この人は酔ってさえなけりゃ、割としっかりとした仕事をしてくれるので、今日はばっちり決められるかと思ったのだが、本人が平常な時には機材が異常。二度の演奏中断。結局、塩っぱい内容になってしまった。

ライブが終了後、だらだらと数人残って飲む。いつの間にやら話題が相撲について語られ始め、その中のある女友達が「横綱って人の名前だと思ってた」などと頓珍漢な発言をした為、これに自分は、国辱を受けたような気持ちにさえなった。
私は彼女の持つ、相撲に対する偏見や誤解を解くべく、目に一杯の悔し涙を溜めながら、その魅力について弁を振るった。
それだけでは飽き足らず、私はその場に居た有志達で、如何に相撲が激しいものであるかを少しでも解らせるべく、体重60kg前後の素人ばかりながら目の前で実演をして見せた。
熱戦に次ぐ熱戦、そしてついに、この日の大一番と云って良いだろう、私、久保大鵬と、同じくthirsty chordsである琴勇作の取り組みが始まる。
待った無し、気合十分。行司役の軍配代りの手が返った、その時。
私の脳にある想いが走った。

まず浮かんだのは、いつもライブツアーに出ると、大体において私と大輔が酒を飲んでしまい、彼が眠気に耐えながら、帰りの深夜高速を運転してくれている、その姿。
加えて、私は中高時代の6年を、相撲の発展系とも言える柔道でならした経験があり、完全な素人とは呼べ無いのでは無いか?彼を壊してしまうのでは無いか?と云う恐れ。

本気ではやれない。

数年前の騒動以後、大相撲において、所謂、八百長と云うものは完全に根絶された、と私は信じている。
だが相撲の世界には、八百長とは別に「人情相撲」と呼ばれるものが歴史の中で、美談として語られている。
最も有名な話が、江戸時代の大横綱、谷風と十両、佐野山の取り組みで、重い病を患う母親の看病疲れの為、負け続けていた佐野山に、それを知った谷風が懸賞金を譲るべく「これからも孝行に励め。」と言いながら、わざと土俵を割った、と云うもの。

私は、ある程度の流れに任せて、最後には彼に、「運転いつもありがとう、これからも宜しく」と言いながら土俵を割る事を考えて立った。
が、そんな私の心など露知らず、ユウサクの立合いは、当たりの強さ、速さ、角度、ガチンコそのものであり、たまらず私の上半身は起き、足を取られ、すくい投げのような形で、CROWBARの10周年の床に体を叩きつけられた。
その時の左脚が、今も痛むのです。