バンドTシャツ考 下

K君は徳島西部の小さな町の出身で、「おおくぼ」の姓を持つ自分とは、出席番号が近かった事、また、自分と同じくハイロウズのファンだった事もあり、入学してすぐに打ち解けたのだが、その彼が、ある日、これまでに見た事がなかった得意顔で「あつっさん、このジミヘンのシャツ、ええ(良い)だろう?」と学生服のボタンを外し見せびらかせてきた。私はその時の音楽の趣向としては、既にセックスピストルズ、クラッシュ、ジャムなどのUKオリジナルパンクに夢中になっており、「ジミヘンとか、もうそんな好きちゃうから」と、軽くあしらったのだが、それでも彼のシャツに対する自信は揺るがない。何がその自信の根拠にあるのか疑念を覚えていると、彼はやや勿体振った体で、着ているジミヘンのシャツに描かれたギターの部分をグッと押さえた。すると、驚いた事に、その押さえた腹の辺りから、ボッ、バッ、ボッ、バッと、ジミ・ヘンドリックスの代表曲「パープルヘイズ」のイントロが流れ始めたのである。どういう仕組みかと言うと、このTシャツに描かれているギターの裏には内ポケットがあり、その中に押しボタン式で音楽が鳴る機械が内蔵されてあるのだった。
私は恐る恐る、「このTシャツはいくらしたのか?」と尋ねると、彼は、得意の絶頂、トップ・オブ・ザ・ワールド、みたいな満面の笑みで、「八千円」と答えたのである。この時の彼の憎たらしい、脂性のため黒光りした笑顔を、私は今でも忘れる事ができない。
この話にはまだ続きがある。この日の午後、昼食を終え腹は満ち、日の高くなる陽気に加え、電気基礎、という工業高校特有の退屈な授業など聞いていると、つい私もウトウトとしてしまいがちである。しかし、この背徳感を禁じえない、甘美なる眠気は、突然教室内に鳴り響いたサウンドにより、木っ端微塵に打破されたのである。
ボッ、バッ、ボッ、バッ。
まだ現在ほど高校生には携帯電話は普及しておらず、ましてや着メロ、着うたなど無かった時代。授業中に音楽が鳴るなど考えられなかった時代。あろう事か、世界最強のハードロッキン・ブルースギターが神聖な教室に響き渡ったのだ。
バババボー、バボー、バババボー、バボボー。
事情を飲み込んだ私は、直ぐK君の方を見た。思った通り、私と同じくして眠気に襲われた彼は、ついに敗北、机にうつ伏せてしまい、無意識の内、腹に内蔵したジミヘン・ギターのボタンを、その角で圧迫してしまったのだった。更に不運な事に、このシャツの欠点は、一度鳴り始めると、一分間程のワンコーラスが終わるまで途中止めることができないのである。
バンバンバーラバラバンバー、バラバンバー、バラバンバー。
先生を含め、クラスの誰もがざわめき立ち、音の中心にいるK君に注目し始めている。K君はとてもじゃないが、クラスの中で目立つような存在では無い。むしろ、しばらく付き合って感じたのだが、彼は中学時代には友達は居なかったのではないか、と思えるフシすらある。
K君は、すがるような目で私を見つめるが、私にできる事は何も無い。あるとすればただ一つ、このイントロが終わる頃、私もノリノリになって、「パプヘーイ!アラインマイブレーン!」と歌いだし、彼の罪を共に背負う事ぐらいだろう。
しかし私は歌う事は無かった。私はKを、見殺しにしたのである。
そういった体験から、もしthirsty chordsでTシャツを作る際には、音声内蔵型のシャツにすれば、多少デザインがまずくとも、我々の曲はシンガロングなパートもあってなかなか受けも良いので、結構売れるのではないか、と考えるのである。
早速、制作に取り掛かろうと思うのだが、何せ特殊なTシャツである。予め、一着当たりの単価が一体いくらかかり、いくらで販売すれば儲けが出せるのか、きちっと具体的に計算しておく必要がある。
まずはプリントする無地Tシャツ代。少しはデザインも必要だからそのデザイン料。送料。発注数による単価の差。消費税、サービス料、アベノミクスによる物価の上昇、などなど、それらを正確に計算した結果、販売価格は八千円だった。