読書感想文

21時ぐらいから子を寝かせつけ始めても、眠ってくれるのは大体22時ごろになる。それからやっと自分の事ができるのだが、その時間からできる事は本を読むぐらいで、最近は、よく見るブログで紹介されていたヘッセの「デミアン」を少しずつ読み、短い小説なのに一月以上もかかってやっと読み終えた。途中からキリスト教周辺の知識がある程度は無ければわからないような会話が続き、教養が無い自分が、ましてや夜更けに読むには非常に困難で、1、2ページめくっただけで眠気に負け、本を伏せてしまってばかりだった。
私はこれまで2度の無職時代があったのだが、芦原すなおの「東京シックブルース」の影響で、その度に同じドイツ作家であるマンの「魔の山」を読もうと試みたが、これもこの時代のヨーロッパの様々な思想が作中の登場人物らによって表されており、当然私には難しく、こちらは長編でもあるため、2度とも挫折した。
思えば私は無職時代を中心に、ペースは遅くとも常に何かは本を読んでいる状態なので、そこそこの数を読んできているはずなのだが、その殆どが、内容を全くと言って良いくらい覚えておらず、いつまでたっても「教養」というものが身に付かないでいる。

今の会社に入りたての頃、徳島駅周辺の歩道にトラックを駐車し、同行の先輩と、近くビル内にある自動販売機の補充に向かおうとすると、まだ午前中なのに少し飲んで良い感じになった爺さんが、荷台部分に貼られた、当時メーカーが起用してたイメージキャラクターのステッカーを見て、「彼は何という俳優さん?」と声をかけてきた。私が「これはKMという俳優です。大河ドラマ平清盛を演じてた」と答えると、この老人はハッとした表情で「清盛さんを?」と声を荒げ、続いて「ぎおんんしょおじゃのおお、かねえのおこえええ」と喉を絞るように唄い始めた。「しょぎょおおおむじょおうのおお、ひびいきいいありいいい」
よく知らないが「平家物語」なのだと思う。私はすっかり呆気にとられ、その場に立ち尽くしてしまったが、老人はいつまでたっても唄う事を止めない。どのくらいの長さがあるのか知らないが、まさか全てを暗記してて、最後まで唄いきるつもりだろうか。
もはや完全にこの場を去るタイミングを失い、聴き入るしか無かったところ、先にビルに入っていた先輩が戻って来て「あんなん相手しとったら日が暮れてまうぞ!」と一喝、私は我に帰って作業に戻る事ができた。
先輩から「あんなん」とされたこの老人だが、この場合、「平家物語」を全て暗記してて唄う事ができる彼は、間違いなく教養があると言える。
対して私は、人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のハイライト、娘「おつる」が母「お弓」と大坂で再会するシーンのモノマネができるのだが、この場合、教養があるとは言えない。
早く次号のジャンプが読みたい。チェンソーマンが最高、興奮する。

 

愛と憎しみの行方

自分たちに子ができるまでは、あまり子どもは好きではなかった。それ以上に、子を持つ親の本能的な「強かさ」が、「図々しさ」に思え、嫌だった。私たち夫婦は、何もかも好みが合わないのに、こんな事だけは共通の価値観として持っていた。
車を運転していて、前方に「BABY IN CAR」あるいは「KIDS IN CAR」などと書いたステッカーを貼った車が走っていると、助手席の妻は「見て、あなた。あれは子どもが乗ってるんだからこっちの運転を気をつけろって事かしら?そっちが気をつければいいじゃない」など文句を言い、それに対して私も「ああ、ムカつくぜっ」などと悪態をつくのである。
「BABY IN CAR」のステッカー、赤いワーゲン、女性ドライバー、この条件が揃った車の運転が最も危険である、これは私たちが経験上で導きだした結論だ、という事を、かつてHAMKの荒瀬君に話すと、彼は面白がりながらも「あれは昔アメリカであった事故で、車中の赤ちゃんに気づかず救出が遅れた、なんて事があったから、事故があった場合には赤ちゃんを最優先で助けて、って意味なんですよ」と教えてくれた。
私たちにも子どもができた現在、その事を思い出し、妻は「この子に何かあったらどうするの?一刻も早く貼りましょう、BABY IN CARを」と急かすので、近い内にも貼るかも知れない。もうCHILDぐらいにはなるのだが。

ここ最近の、幼い子どもが犠牲になる事故や、虐待のニュースも、もはや他人事とは思えなくなり、胸が痛む。妻も、せめて幼い子たちだけは恐怖、苦しみから守る方法はないものか、などとよく話す。そんな大きな事でなくても、以前は苦々しく思えた、子どもの大声奇声を上げて走り回る姿を見ても、絵に描いたような中流家庭の親子連れが、幼子を真ん中にして手を繋ぎ、私たちの行く手を阻んでいたとしても、今は舌打ちなどせず、微笑ましく感じられるようになった。
ところが人の持つ愛や憎しみの感情は、どちらも量が決まっているため、子どもに対して愛が注がれるようになった分、当然憎しみは新たな矛先を向くようになる。

車を運転していて、前方に小さく「H」のマークのステッカーを貼った車が走っている。この「H」のマークは、県内最大の企業「日々亜化学工業株式会社(仮名)」のイニシャルからとったもので、このステッカーを貼った車を運転する者は、そこの社員である事を意味する。数年前から、県南部に本社工場のあるこの会社に勤める社員とその家族が、私たちの生活範囲のこの近くにまで居を構え出し、その通勤退社の車の列は、近隣の渋滞の大きな原因となっているのだ。
「見て、あなた。前の車、日々亜化学の社員よ。きっとこの夏もボーナスたっぷり貰うのよ」「ああ、ムカつくぜっ」
私は去年の夏、会社の業績不振でボーナスをカットされたのである!

新年度なので

去年10月の終わりに子が産まれ、以来、バンド活動をしたり、音楽を聴いたり、本を読んだりする事がめっきり減った。子供が産まれると価値観が変わる、とよく聞くが、価値観とかそういう大袈裟な事ではなく、ただ現実的に、仕事以外の時間を、ほぼ家族を優先させるべき状況になる、というだけの事である。
なぜなら、この子は、まだ一人でなあんにもできないのだから。
子育ては私たち夫婦には初めての事で、今でこそ若干の慣れができてきたが、新生児の頃は、とにかく気持ちに余裕が無かった。特に辛いのは夜泣きや深夜の授乳による寝不足である。睡魔と戦いながらミルクを与えるのだが、この子の飲むスピードはかなり遅く、毎回1時間ほどもかかってしまう。
しかも生後3ヶ月が経っても飲む量はあまり増えず、このままだと成長に影響が出るのでは、と不安にもなった。
ところがこれは、哺乳瓶の乳首は子の成長に合わせて段階があるのに、3ヶ月になっても未だ新生児用の物を使っていたためだったとわかり、これを改善以降は、量もずっと増え、かつスピーディに飲んでくれるようになった。
無知な両親の元に産まれると、子は不幸だ。
涙で詫びる私たちに、この子はただ、笑うような、怒るような顔で、「ぶっ、ふうー」と応えるのだった。
もちろん主に子育てをしてくれているのは妻で、自分はそのサポート程度に過ぎない。それでも、たとえ飲む時間も随分短縮されたとはいえ、やはり勤めながらの深夜のミルクは辛い。その辛さから、思いやりにかけた言い争いを妻としてしまう事も多く、ひどい時にはどちらが離婚を口にする事さえあった。そして、離婚後の子の養育の事などを一人想像し、もしかするとこの子の成長を近くで見る事ができなくなる、などと考えると、またも涙はとめどなく流れ、そうなると、この深夜のミルクの時間も、掛け替えのない時間のように思うようになり、それ程に苦とはならなくなった。

夜、灯を消して、ベビーベットの足元に敷いた布団に寝そべり、見上げながらこの子が眠りにつくのを待っていると、暗闇の中、ベッドの柵の間から、白く小さな手が浮かんで揺れている。そっと触れてみると、その手は、仕事でアカギレだらけの私の指をしっかりと握ってくる。驚くほど力強い。
私は、この子が愛しくてたまらない。信仰心など殆ど持たない私だが、イエスの云うアガペーとはこの事か、と思った。柔らかく握り返した私の手の指を、この子は離さない。
そしてよりしっかりと私の指を握る為なのか、ロッククライミング選手が岩壁から僅かな引っ掛かり探るように、私の指の傷口の引っ掛かりをカリカリして探る。
激痛。ジャスト・割れ目。
ものすごく痛い。


本当に徐々にではありますが、バンド活動も再開したいと思い、久しぶりにライブ出演します。
連休前の方も、仕事を頑張る方も、無職業の方も、観に来て頂けたら嬉しいです。

5/2(wed)
at CROWBAR
act
w/ DETENZIONE(Milwaukee), RIO TURBO(Milwaukee), SILVERWIGS, MESS., DJ HYPER RAVE NIGHT

ADV ¥2000 DOOR ¥2500(+1d)
OPEN 18:00 START 18:30

ホームページの更新の仕方を忘れない為の更新

なかなかこちらも更新ができておりません。
しばらくは発表する機会もないのですが、たまにスタジオに入って新曲を合わしたりはしてますので、その歌詞でも載せておきます。


「hardblack heart」


砂嵐の画面になるのを待って
夢を見ずに眠りたい
胸騒ぎと溜息の正体
HB芯の味を忘れたい

振り返りそうな
繰り返し聴こう last track
一人きりだった

また僕を引き離した
君は一人行動派
足のつかない街の中を
どこまでも泳いでゆく

涙はもう出ない

振り返りそうな
繰り返し聴こう last track
一人きりなんだ

めくるページ
今夜もわずか
君と交わした言葉が邪魔して
明日朝の目覚ましもかけないんだ
誰か僕を起こしてくれないか

硬くなる
黒くなってゆく心は折れない
機械化の軋む音の拍をとる

きれいに酔いたい
君に会いたい
まだ
二十歳になったばかりの頃さ
馬鹿みたいな心なんだ

休止休止サギ

もう先月の事だが、半年ぶりにライブ演奏を行った。
fixing a hole record招聘によるイギリスのメロディックパンクバンド、headsparksのジャパンツアー、その徳島編への参加だった。
とても良いイベントだった。
メインのheadsparksはもちろん、地元バンドもabsents、silverwigs、bowsと最高のバンドが揃っていた。観客、出演者、スタッフの表情には笑顔が溢れ、全ての人達が、素晴らしい演奏と美酒に酔った。そして一曲の演奏が終わる度に、隣合う人同士、互いの頬にキスをし合った。
終演後、外に出ると会場時に少し降っていた雨は止み、雲の空き間から星が輝いていた。この時期私を苦しめるイネやブタ草の花粉も、この時だけは止んでいるようで、私はマスクもせず、何度も深呼吸を繰り返した。
これらの記憶は曖昧だけど、だいたいそんな感じの、幸せな夜だったと思う。

翌朝、二日酔いで気怠い中を早起きし、自宅マンション近所の堤防を歩いた。早朝の堤防の道は、私以外は誰も歩いている人は無かったが、途中、二羽のアオサギが、川を向いて並んで立っていた。二羽は剥製のように全く動かない。じっと止まったまま、一体何を見ているのかと、その視線先に目を向けると、川の水面に枯れた水草が溜まって小さな浮島のようになった所があり、そこにも二羽のサギがとまっていた。こっちのサギは、アオサギとシラサギで、その浮島の周りを七、八羽の鴨の群れが、まるで囃し立ててるみたいに、ぐるぐる何周も旋回をしていた。
しばらくその光景を眺めていたが、四羽のサギはその後もほとんど動く事はなく、やがて鴨の群れもいなくなった。
自分も帰ろう、と思った。帰りに缶コーヒーを買おうとコンビニに寄ると、何かものすごく鳥の肉が食べたくなり、普段滅多に頼まないレジ横のフードコーナーから、フライドチキンを買って食べた。


これ以降、しばらくライブの予定はありません。ただやはり、ライブでの演奏は楽しいので、タイミングさえ合えばいつでもやりたいとは考えてます。近い先か遠い先かはわかりませんが、またいつかよろしくお願いします。

マルナカにて

活動を休止した理由の一つに、自宅マンションから車で10分ほどの所にあるスーパーセンターマルナカが、改装のため一時閉鎖していた事が挙げられる。
私は、このマルナカの休憩スペースで歌詞を考える事が多い。つまり、マルナカが無ければ歌詞を書く事はできないという事である。
無職だった一年半は日々の大半をここで過ごした。この話をすると、近所の寿司屋の娘が「あそこには無料でお茶と水が飲める機械があったのに、それが撤去されたのは大久保さんのせい」と非難してきた。自分ような者が一日中茶を飲んだり、カップ麺に湯を注ぎいたりしていると、一般のお客様に迷惑、という事なのだろう。が、それは完全な言い掛かりで、私が無職となった頃にはその機械はもう無かった。
ただ、迷惑を掛けた覚えは無いが、確かに特に買い物をするでも無く、毎日のように午前中にはやってきて日暮れまで居座る、本来なら働き盛りであろうおっさんの姿は、あまり良い印象は持たれなかったかも知れない。

歌詞を書いていたり、本を読んだりしている時は、錯覚か誤魔化しにしても、何と無く教養が身についているような気分になったりもするのだが、なあんにもしてない事も多々あった。
そんな時の私は、窓際というか、ガラス張りの外向きの席に座り、そこから展望できる駐車場をじっと見下ろして過ごすのである。
いや、ただ見下ろしてたわけでは無かった。その眼には一種の異様な輝きがあったあったのかも知れない。

駐車場はこの1階だけでも、ざっと見て3、400台分ぐらいのスペースはありそうなのだが、その規模の割にショッピングセンターへの出入り口は一ヶ所ずつしかなく、場内は混雑防止の為、細かい順路の指示が走行通路に施されている。
ところが見ていると、人々は誰もが店内入り口に最も近い駐車区画に停めたいが為、少しそこから離れればまだまだいくらでも空きがあるにも関わらず、いつまでも入り口近くの区画をグルグル周っているのである。
そして一台分の空きがでると、彼等は一斉にそこを目指し、走行通路は斜めにショートカット、順路は逆走、非道い者は追い抜きまで行う始末で、場内は混沌を極めるのであった。
私は人々のエゴ丸出しの醜い争いを本当に悲しく、情け無い気持ちで見下ろすのである。
「私はこれまで30年以上、秩序と道徳を何よりも重んじて生きてきた。それをあいつらときたらどうだ。誰もが自分さえ良ければ良いと考える我利我利亡者ばかりだ。それなのに自分は無職。奴等の車を見ろ。車は資本主義社会における最も分かりやすいステータスだ。どれもピカピカに輝いている。高級な外国産車まである。他人を陥れて得た地位と金の結晶だ。比べて私の車はどうだ。もう10年以上乗っているアルト。雨が降れば、どこかから降り込んでくるのか車内はビショビショになるのだ」
時にはそのような事を呟きながら、一日中を外を眺めて過ごしたのである。

マルナカのリニューアルオープンとともに、私は歌詞作りを再開した。
リニューアル後のマルナカには、1階に広々としたイートインスペースが新設されており、水やお茶が無料で飲める機械も復活していた。非常に快適でよく利用していたのだが、今日行ってみると、早くも、お茶を出すボタンがシールを貼って押せなくなっており、飲む事ができなくなっていた。


「クルー・ジャパン」

塞がった耳を騒音が剥がして
現在の意識を保っている
疑う眼で見つめるだけの無駄な抵抗
頷いてる奴らの首に掛かって
気付かない

蟻がたかる習性みたいなモラル
誰一人
お前を知らないだろう

裏返った自分の声は聞こえないで
ミリ単位の狂いが許せないんだ
待ち焦がれた機会は今過ぎ去って
相殺したつもりの
善悪など曖昧

有り難がる純正品のモデル
誰一人
必要しない感情

この街から盛り場の灯が消え去るまで
「友達なら当たり前」って慰め合え