ねじめ正一について

「アカチンの町」が素晴らしい内容だったため恐れ多くも、芦原すなお氏と並んで愛する作家、ねじめ正一氏について書かせて頂く。
とは言うもの、俺は氏の著作は詩集2作、エッセイ1作、編集1作、小説3作程度しか読んでいないのだが、それでも氏からは多大なる影響を受けた。
直木賞受賞作「高円寺純情商店街」の一章「六月の蠅取紙」が小学校の教科書に掲載されてたり、一時「平成教育委員会」や「料理の鉄人」等でタレントのような活動も行ってたので名前は皆さんご存じだろうが、作家デビューを果たした80年代の氏は「あらゆる芸術の中で裸になっていないのは詩の世界だけではないか」とライブハウスでフンドシ一丁で便器にまたがり、エロ劇画にも通じる現代詩を朗読する等、過激そのものであった。
彼の作品の根底は、文学臭を消す、ということにある。つまり誰にでも、どんな事でも詩になりうるという事である。現代詩を特別な人間の神聖な物である等とほざくジジイどもから、便所の落書き扱いされれば「便所の落書きも詩になりうる」と言い切った精神はパンクそのものだし、ある女性詩人から豚の言語呼ばわりされば、「ブウブウ」と豚の鳴き声を詩に織り交ぜる等、痛快この上ない。
氏の小説は自身が商人である故か、商人や商店街が舞台の物が多い。「アカチンの町」ではパン屋の息子の中学生が、思春期の様々な経験をしながら詩を書くようになってゆくと言う内容。商売人と文学と言う一見縁の無い関係。ここに氏の現代詩は特別な物ではなく身近な物であるという精神があるのだろう。
氏は今でも高円寺で「ねじめ民芸店」を営みながら作家活動を行っている。いつか絶対に行く。
氏の書いた近所のコンドーム自販機の設置場所を示した地図の中にシレッと谷川俊太郎氏の自宅もまじっている。さ、最高過ぎる…。