妻との事

仕事もようよう慣れてきたが、昼メシは今でも、まだ仕事慣れん時に運転しながらでも食えるようにと、妻の握ってくれたオニギリが3個である。
俺は世に言う「新婚さん」であるが、何分それに成るまでに費やした時が長過ぎた為、飴湯の如き熱々の甘ったるい生活など程遠く、むしろ喧嘩、叱責、謝罪の日々といえる。大概は俺のノー・デリカシー・マインドが原因ではあるが。
「怒り」のエネルギーは歴史において時に人々を動かし、恐怖政治からの解放、人権の確得へ導く事もあるのだが、大抵の場合「怒り」は「憎しみ」と連動、化合しやすく、取り返しのつかない悲劇を招いてしまう。人々は怒りによって拳を握る。そして、ついには銃をも握るのである。
しかし我が妻は、たとえ俺に対する怒りが沸点に達した日であろうと拳ではなく、ましてや銃でもなく。妻はオニギリを握るのである。
しかも3個とも種類を変えて、そのバリエーションはシャケ、梅、塩昆布、シラス、焼きオニギリ等豊富である。妻は一体あれ程の怒りの中、何を考え、中身までわざわざ変えながらオニギリを握っているのであろうか。妻の中での「妻としての役割」を、たとえ冷戦中でも完璧にこなす事で、自分の非をとことん排除し俺を追い詰めていこうという狙いなのだろうか。
妻だろうと女性というのは永遠のミステリーでありアウターゾーンである。
今日のオニギリはシャケ、昆布にタブチ家から持ち出された十年漬けの梅干しであった。単純に俺が幸せ者であるという可能性も否定はできんのである。